チートの思い出

チートの話題を見るたびに「馬鹿じゃないのか」、「正々堂々と闘ってこそ楽しいのではないか」等の感想を抱く人が多いであろう。私もそう考える一人なのである。しかしよくよく考えるとチートを他人に使った過去があったなあとふと思い出した。当時を振り返ると間違いなく良いとも悪いとも思わず当然のようにチートをしてしまった。今現在チートをやっている人間を見かけるが、その多くは善悪の区別がついていないのかもしれない。チートが悪ということを教育して脳内に刷り込むことが大事な気がする。



Pro Action Replay(PAR)というチートツールをご存知であろうか?
詳しい原理はよくわからないが、ゲームを起動する段階でメモリか何かを操作することでゲーム中のデータを操作する代物だ。おそらく違法性のあるものでは無く今から書くことは罪の告白ではないと信じたい。
ちなみにPARはそれ自身だけでは意味がなく、16進数の改造コードを事前に知っておき入力する必要がある。改造コードをどこからか入手する必要があったが、当時はまともにインターネットも使えなかったので、わざわざ専門雑誌を購入していた。小中学生の自分にとってあの雑誌のアングラ感がたまらなく、特にクソゲー、海外のパクリゲー特集は大変お気に入りであった。当時のコラムは今読んでも面白いのではないかと思うし読めるのであればぜひ読んでみたい。


話が逸れた。当時の私がPARの存在を知ったきっかけは定かではない。しかし確かにそいつは自宅にあった。
当時はゲームに対する真剣さなど微塵もなく、手軽に最強のステータスを得られるのは大変魅力的であった。そのため家にあったゲームに手当たり次第使っていた。そのゲームの一つに実況パワフルプロ野球がある。使い方は至極単純で、全選手のステータスがマックスのドリームチーム?を作り上げたわけである。特にピッチャーは顕著で、速球を投げれば160km/h、変化球は5つの方向に最大変化量かつ一つはオリジナル変化球。オリジナル変化球にはさぞ恥ずかしい名前がつけられていたことだろう。
そのチームを作るのに深い理由は無かった。ただ手軽に最強にできるから最強にしただけだ。特に問題は無い。一人遊びとは何をやっても許されのだ。


一人で遊んでいるうちは良かった。しかし当時の私はその大層なおもちゃを友達に自慢したくなった。あろう事か私はそのチームを使って友達に戦いを挑んでしまったのだ。そのときに悪いことをしているという意識はなく、ただ新しいおもちゃを披露したかっただけなのだ。ゲームは淡々と進んでいった。ゲームの結果は覚えてない。覚えているのはゲーム終了後に友人から一言「こんなの使ってて楽しい?」


今振り返ってもなかなか酷い事件で数ある黒歴史の一つに数えられるだろう。友人も良いやつだったから後で10回ぐらいいじられただけで済んだ気がするが、オンゲで同じ事をすればこうはいかなったであろう。もしそんなことをしたが最後、名前を出すごとにことごとく叩かれてインターネットでまともに過ごせなくなっていたであろう。結果として私はオフゲでチートの愚かさを知り恥じることができた。これはおそらく良かったのであろう。




今の子供はインターネットやゲームにおける善悪をどこで学習できるのだろうか?子供の全てが目の前のチートやその他の悪に手を出すとも思えないが、罪の意識もなく悪に手を染める子供もいるのでないかと思ってしまう。いきなりインターネットに繋がっているというのは大変便利ではあるが、あまりにも身近に有りすぎると誰かと繋がっているということに希薄になりオフゲの感覚でものごとを捉えてしまう人がどうしても出てくると思う。
何でもできる世の中だからこそ小中学生が罪を犯してしまっても、一度ぐらいは許してあげる寛容さが世の中には必要な気がする。とはいえチートが横行するのも考えものであり、インターネットの使い方として小学生のうちからの教育が必須だよなあと感じている今日このごろ。